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捨てる神あれば拾う神あり?母親に捨てられた娘のその後


《母と二人で家を出てアパート暮らしを始めたけど、中学の修学旅行前に母が私一人を置いて出て行ってしまった。》
という前記事はこちら
→ホームレス中学生にはならなかったけど修学旅行前に母に捨てられました

夏休みに入る少し前だったでしょうか。とても暑い日でした。

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私はアパートの近所を歩いていました。どこに行こうとしていたのか、何をしていたのかはもう覚えていません。

前から人が歩いてきました。誰かがこちらに歩いていることはわかっていましたが、顔も見ず通りすぎようとしたその時。。。

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「みい☆(私の名前)ちゃん!」
前から歩いてきた人に呼び止められました。その人は父の店の従業員の方だったのです。

一瞬何が起こったのかわかりませんでした。
「アレ?なんでこの人ここにいるんだろう?たまたま?こんなとこに?」

「元気?どうしてるの?」
涙が溢れてきました。母が出て行ってから初めての涙でした。


とにかく立ち話もなんだからと駅前の喫茶店に入りました。そこでそのおじさんに今までのことを話しました。
母が出て行ってしまったこと
そして今は一人でアパートで暮らしていること。。。

でも、事実をありのままに伝えただけで、そのことが悲しかったとか寂しかったとか、自分の感情については何も話していません。

前の記事にも書きましたが、そういった感情を封印してしまっていたので…

その時も、後で父に会ってからも、母のことを悪くいうことはありませんでした。

気持ちは口には出さなくても、涙が物語っていたのかもしれませんけどね。


おじさん
学校、ちゃんと行ってるの?

15歳の子が一人…学校にちゃんと行っているのか?誰でもまず心配しますよね。

夜ふらふら出歩いていないか?
悪い子たちとつるんで、グレてしまっていないか?

私にはグレる勇気がありませんでした。毎日きちんと学校へ行き、部活もして、塾にも行っていました。

転校したばかりでしたがすぐに部活に入ったこともあり、友達もできました。担任の先生は部活の顧問の先生でした。

運動部で私が元いた学校も新しい学校も市内では強い方で、顧問の先生の名前もお顔も知っていました。

部活の中では私はそんなに目立つ方ではなかったので、先生は私のことは知らなかったと思います。

欠席や遅刻もなく普通に登校し、明るく楽しく過ごしていたので、先生も友達もまさか一人でいるとは思わなかったでしょう。

転校したばかりなので、様子が違っても先生や友達が気づかなかったのかもしれませんが…


おじさんの話によると、父が私の夢を見たのだそうです。夢の中の私はエンエン泣いていたのだとか。

父は、私の身に何かあったのでは?と心配になり、従業員のおじさんに様子を見に行ってくれないかとお願いしたのだそうです。

父はアパートの場所を正確には知りませんでした。父が知っていたのは○○駅の近くということだけでした。


よくあそこでバッタリ出会うことができたなぁと、あの日のことは今でも不思議に思っています。

とても暑い日のお昼間でした。出会った時おじさんは顔中から汗を流し、ハンカチで汗を拭いていました。

喫茶店に入った瞬間、「わぁ涼しい!」って感じたのを今でも覚えています。アパートには当然クーラーなんてありませんでした。


ひと通り話し終わり、喫茶店を出たあと、おじさんは公衆電話から父に電話をしました。35年前です。携帯電話はまだなかった時代です(^_^;f

電話が終わると
「とりあえず帰ろ」
と、タクシーで父が待つ家へと帰りました。


父と会うのは4ヶ月か、5ヶ月ぶりぐらいだったでしょうか。会った時、父の目は真っ赤でした。私もまた涙が止まらなくなりました。

どんな話をしたのか、何を食べて、どこで寝たのか、父の顔を見たところから先は何故か記憶がありません。

休みの前の日だったのか、次の日学校だったのかも思い出すことができません。


その日だったのか、別の日だったのか、「もう一度転校するのはもうイヤだ」という話はしました。

家はまだあって、そこにはそのまま父だけが住んでいました。私の転校で、家庭で何かあったのだろうということは中学生でも想像はつきます。

もう一度同じ学校に転校したら、みんなはどう思うだろう?と思うと、そんな勇気はありませんでした。

父が学校に話をして、私は卒業まで電車で通学することになりました。


まだ1学期は終わっていなかったので、しばらくはアパートは引き払わずにそのままにしていました。

家から車で父に送ってもらう日もあれば、一人でアパートで寝て次の日に学校にいく日もありました。

アパートにいた日、母から電話がかかってきました。私は父に頼まれて従業員のおじさんが探しに来てくれたこと、そしてもうすぐアパートを引き払って家に帰ることを伝えました。

その時の母の反応は「あ、そうなん」といった軽い感じだったように思います。


アパートを引き払って家に帰った後、数ヶ月経った頃、母から父に連絡があったようでした。

要件は「離婚届にハンコを押してほしい」ということでした。

これは、父から後で聞いた話です。でも、その日父はいつも着ないスーツを着て出かけて行きました。そして目を赤くして帰ってきました。

母と会うんだな

と、出かける前から思っていたのでした。


帰ってきた父は、泣きながら私に母との会話を話してくれました。衝撃でした。初めて悲しいと認識して泣きました。


父と母がどんな話をしたのか、父から聞いた話の内容はまた次回。。。
トラコミュ
人生いろいろ。

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